2016年6月6日月曜日

「置かれた場所で咲きなさい」の考え方(その1)


一時期、「置かれた場所で咲きなさい」というフレーズが流行りました。
「置かれた場所で咲きなさい」・・・つまり、まず自分が今の場所で出来ることをして、他者貢献して自信と居場所を作るということなんだと理解してます。実際、流行りの元となった書籍も読んでみましたが、仏教勉強中の自分からも「なるほど」と納得できる内容で、この本自体には特に異論はありません。



キリスト教でも仏教でも似たような教えはあり、人によっては、どんなに迫害されても、それは神が自分の信仰を試しているので苦難に負けてはならない、というロジックで心の支えとする場合もあります。

しかし、これが例えば会社の上司から部下に向かってなど、「咲きなさい」の意味を人間の尺度を前提にして「会社や組織で結果を出すこと」として説くと、途端に違和感が出てきます。

この違和感について、まず、そもそも「置かれた場所で咲きなさい」について、本当に人間はどこでも「咲ける」ものなのか?という疑問が出てきたのですが・・・。

人はどんな環境でも「咲ける」ほど強いのか?


世の中の動植物は、実にいろいろな場所で、いろいろな生存戦略を組み立てて一生を送ってます。例えばアフリカのライオンを、いきなり南極大陸に移してきて、「置かれた場所で咲きなさい」とばかりにしても、ライオンが人間の知性を持っていたとしてもうまく行きませんよね、きっと。

人間は知性があるし理性もあるじゃないか・・・となっても、人間の精神はそれころ様々なはず。何もかも全部丸めて、「置かれた場所で咲きなさい」というのはあまりにも暴力的。親が虐待するケース、パートナーがDVなどで暴力を振るってくるケース、そんな環境でも「置かれた場所で咲か」なくてはイカンのですか?

ちゃうやろ、と。

ホンマに人間の知性を信じるなら、「こりゃアカン」と思ったら、一度撤退して、アプローチを考えなおしたり戦略を立て直すのだって立派な知性のはずです。

そもそも、「咲き "なさい"」という物言いが気に食わない。これは誰が誰に言っとんねん? 「置かれた場所で咲け、でないとお前は他者貢献できない、価値を認めてもらえないぞ」という脅しですか?

んなわきゃねーだろ。

人が生きて、飯食ってクソして寝て起きて飯食ってクソして寝て・・・るだけでも、奇跡だろーに。 それでも世知辛い世の中、せめて、「こりゃアカン、もう逃げたほうが良い」と思って、精一杯の生存本能と自分の直感とか経済状態とか諸々秤にかけて、撤退しようか迷ってる子羊に、神でも仏でもねー同じ人間が、「置かれた場所で咲け、逃げるな、戦え、前を見ろ」って言う資格なんざねーだろ。

このセリフは、人が人に説教するためのセリフじゃねーだろ。信仰を持った人間が、自分の中の神とか仏とか宗教の教えと自分の中で対峙するときに、自らに問いかける、自己の中で完結する語りかけだろ。物知り顔の他人に説かれるものではない、自分の中で、自分に説くのだ、問いかけるのだ。

だから、「置かれた場所で咲かなくったっていい」んだよ。まず自分が生き延びること優先でいいんだよ。他者貢献はそれからだ。自分の安全を確保しろ。疲れたら休んでいい。逃げていい。プライドなどかなぐり捨てて土下座してでもいい。「助けて」と叫ぶんだ。日本が嫌なら、どうにかして海外に逃亡してもいいんだ。

昔は、逃げようとしても逃げられなかった。だから、「置かれた場所で咲くしかなかった」。でも、今なら逃げれる。いろいろ、逃げる手立てはある。それは人間の歴史と、知性が積み上げてきた、享受してよい、利用してよい知恵であり法律でありシステムであり社会制度なんだ。それのおかげで、今ならこう言えるんだ。「置かれた場所で咲けなければ、場所を移せ、逃げろ、自分が枯れる前に、まず自分が咲ける場所を探せ」と。

人生は全て「死」という共通のゴールに向かって、一秒も休まず動き続ける。そのゴールまでに、どれだけの景色を見れるか、風景を見れるか、人の感情と向き合えるか、そして何を自分の中に入れて、出して、ゴールに向かう途中を楽しめるか。

その選択肢が多様化した今、神でも仏でも無い人から、「置かれた場所で咲け」などと、自分自身の人生について説教されたり、それを真に受ける必要などどこにもない。

逃げて良いのです。逃げて、隠れて、休んで、ひたすら寝て、休んで、回復したら、また旅路に戻ろうぜ。

で、書籍に戻ると・・・


実は書籍では、上記のような点もちゃんとフォローしてるんですよ。著者はキリスト教の方ですが、神はその人が乗り越えられないほどの試練は与えず、逃げ道も用意してくださっているとちゃんと書籍に書いてあります。知恵を振り絞れば乗り越えられるし、よしんばそれに失敗しても、神は逃げ道を用意してくれる、つまりその人を愛してくれてるわけです。

その2,「咲く」の尺度について、に続けます。

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